BLOGブログ

命ってあっぱれ

目の前の現実と、本当の真実と。。。命ってあっぱれ1♪

   
2019年を振り返ってみると
  
  
法人設立したり
初の決算もあったし
本を出させていただいたり
天使力フェスタも開催して
YouTubeにデビューしたり
足首骨折したり(笑)
  
  
たくさんの経験ができた年でした。
  
  
今年も
どんなに少なく見積っても
  
  
「できた!」
という
ありがたい
いくつかの経験の奥に
  
  
その一つひとつにかけたエネルギーの
1万倍以上のチカラをいただいている実感。
  
  
ありがたすぎます。
  
  
みなさまに
  
  
とんでもなく
支えていただき
助けていただき
  
  
本当にありがとうございました。
  
  
そんな
今年の出来事の中でも
なにげに
けっこう大きかったのが
  
  
ある『謎』が一つ解けたこと!
  
  
  
これは、
まったく個人的な謎だったのだけど、
でも、これが大きかったかも。
  
  
過去から25年間
越し持ち越しているものだったから、
不思議に思っていた期間は
それなりに長いし、
  
  
それに
  
  
その答えが
私にとっては深いところから
出てきたものだったので、
  
  
この答えは未来に渡って
25年以上、
生き続けると思うので。
  
  
製造期間も
賞味期限も、長いです(笑)
  
  
今まで
いつも思っていたわけではなく
ふだんは忘れているけれど
  
  
でも、
他人から
それについて
聞かれたりすると
  
  
「うーん、謎だなぁ、
たぶん、こんな感じじゃないかな?」
  
  
みたいな答えになってしまって
なんとも心許ない。
  
  
なんだか
靴の上から
痒い足を掻いているような感じで
スッキリしない。
  
  
四半世紀ほど
放っておいたわけだから
  
  
まぁ、どうでもいいと言えば
どうでもいいこと
なのかもしれない。
  
  
でも
今年、
解けてみたら
  
  
これがけっこう
私にとっては
大きなことだった。
  
  
この謎が
なんで急に
今年めでたく解けたのかというと、
  
  
それは
『小さな奇跡を起こす天使ことば』
を発刊したから。
  
  
言葉が
人生をクリアにするチカラは
すごいんだ!
  
  
天使ことばって
すごいんだ!
  
  
といまさらながら
実感しています。
  
  
一番大切なことを
思い出すことができるのが
天使ことば、
  
なんですねぇ。
  
  

だから
今から少し
私の今年の謎解きについて
書いてみたくなりました。
  
  
いや、
少しじゃ終わらないな。
  
  
やっぱり、長くなるな。

  
  
長いので
数回にわけて
お届けしますので
おつきあいくださいね。
  
  
  
さて、
私が密かにあたためていた謎とは、
  
  
なぜ
あの時に
あの状況の中で
『祝福』できたのか?
  
  
それと、
  
  
なぜ
あの時に
ほんの一瞬の葛藤だけで
立ち直ることができたのか?
  
  
という、
2点の不思議。
  
  
あの時とは
  
  
26年前
子どもが生まれた時に、
その場で
重い障害があるとわかった時。
命がもう長くないと
わかった時。
  
  
それと
  
  
その子が
亡くなった時。
  
  
帝王切開の際の麻酔で意識がなかったから、
私には知らされないまま
  
  
そのまま
  
  
赤ちゃんは
子ども病院へ。
  
  
私は
総合病院の産婦人科に
そのまま留まって
  
  
母子離ればなれ。
  
  

生まれたその日に
主人から
  
  
「障害があるんだって。
もう、あまり長くは生きられなくて
もしかしたら
今夜も越せないかもしれないんだって」
  
  

教えてもらった時の衝撃は
今でも覚えている。
  
  
私、まだ、逢えてない!
逢いたい!!!
  
  
なんとか
生きているうちに
逢いたい。。。
  
  
ぐるぐると
さまざまな気持ちが生まれては消えて、
  
  
たくさん考えるのに
なにも考えられない。
  
  
そんな
赤ちゃんが生まれた
最初の夜。
  
  
夜中の産院は
他の赤ちゃんたちが
一斉に
「ふぎゃー、ふぎゃー」と
かわいらしく泣く。
  
  
お母さんのおっぱいを求めて。
  
  
その泣き声を聴いた
私の率直な感想は
  
  
「あー、良かった」
  
  
だったのです。
  
  
「この子たちは
元気で良かった」
  
  
と心からうれしくなった。
  
  

大混乱しているのに
  
頭の中が真っ白で
なんだか
やけにシーンとして
なにも考えられなかった私を
  
  
ひたひたと癒す泣き声。
癒してくれた。
  
  
私は
実は
エネルギーをもらっていた。
  
  
のだと
今、思っている。
  
  

ほんと
赤ちゃんたちの
泣き声に
とてもとても癒されて
  
  
心から
  
  
「大きな声で泣いたら、
お母さんくるからね。
  
さぁ、元気に泣いてー!
泣けてよかったね。
大丈夫だよー」
  
って
命を祝福して
応援していた。
  
  
  
心から。
  
   

と同時に
  
  
さっきまでお腹にいた
我が子を思って
私はその夜、よく泣いた。
  
  
でもね
やっぱり
  
  

生まれたてほやほやの
よその赤ちゃんが
『元気に生きている』
  

  
その
  
  
元気な泣き声が
心からうれしかった。
  
  

自分が大混乱していること、と
相手の命を祝福すること、は
別なことなんだね。
  
  
  
目の前の現実と
本当の真実は
違うんだ。
  
  
  
エールを送っている瞬間は、
自分のぐるぐる思考からは離れるから
どれだけ
名も知らぬ
  
  
というか
  
  
どれだけ
名もついていない赤ちゃんに
助けられたかわからない。
    
    
  


 
翌日
看護師さんに
  
  
「昨夜は
赤ちゃんが泣く声が
よく聞こえました」
  
  
と言ったら
  
  
「あっ、ごめんなさい!
すぐにお部屋、変えます。」
  
  
と言われて
  
  
えっ、なんで?
  
  
「あっ、そうか!
『よその赤ちゃんの声を聞くのはつらい』
と勘違いされたんだ!」
  
  
と気がついた。
  
  
  

そうか、
ふつうは
つらいんだ。
  
  
そうだ、
そうだよね。
  
  
あれ?
  
  
なんで
私は
それがつらくないんだろう?
  
  
なぜ
まったく自然に
心から命を愛おしんじゃっているんだろう?
  
  
と、
  
  
はじめて
不思議に思った。
  
  
私は
別に
聖人君子ではないし、
強靭なメンタルを持っているわけでもなく、
  
  
人間ができているわけでもなくて
  
  
まぁ
そんなことは
  
  
自分が一番、
よくわかっている。
  
  
でも、この時、
  
 
本当に
心の底から
よその赤ちゃんの命に
エールを送っていた。
  
  
良かった、良かった、
元気でよかった、
と心から。
    
    
その泣き声と
心からの祝福の
目には見えないやりとりで
    
  
今思えば
  
  
その一晩で
とても元気をもらっていた。
  
  
そう思えたから
私はしあわせだった。
  
  
不思議な夜。
  
  
寂しくて不安で
涙を流した夜。
  
  
でも
  
  
赤ちゃんの泣き声に守られて
とても
心が温かい夜でした。
  
  
命って
あっぱれだ!
  

長くなったので、続きはまた明日♪