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命ってあっぱれ

ふつうってなんだろう?。。。命ってあっぱれ♪2

さらに不思議なのは、
  
  
一カ月後に
子どもが亡くなった直後の自分の心の状態。
  
  
その子の温もりが
この世界から
消えてしまったことは、
  
  
うーん、なんて表現したらいいんだろう。。。
  
  
皮膚がひりひりするほど痛いっていう感じ。
    
    
でも、
心の中は
ほかほかと暖かくて
  
  
ふつうに
笑顔が出て
  
  
ふつうに
元気に生活できたこと、
  
  
これも
不思議なことだったなぁ。
  
  
つらいけど
落ち込んでいない。
  
  
つらいか、と聞かれれば
もちろん
つらい。
 
  
  
もう、いない。
もう、抱っこできない。
  
  
もう一度、逢いたい。
けれど、
それは叶わない。
  
  
そこまでの人生で経験したことの中では
一番つらかった。
つらさが痛くて
ひりひりした。
  
  
でも
  
  
つらいっていうことと
落ち込むっていうことも
別のことなんだなぁって思った。
  
  
お葬式が終わった直後に
お友だちが電話をくれて
  
  
「大丈夫?」
  
と聞いてくれた時に
  
「ん?なんで?大丈夫だよ♪」
  
  
とふつうに答えたくらい、
心は平常運転に戻っていた。
  
  
哀しさは味わい尽くしたし、
泣けるだけ泣いたけれど
  
  
それを
つらさとして
引きずることはなかった。
  
  
なんだかね
立ち直りがとても早かった。
  
  
妊娠の最後のほうは
入院して絶対安静期間があったので
身体がもとに戻るまでは
体力的にはきつかった。
  
  
でも
  
  
身体が動くようになってきたら
いつもとおりに
外に出た。
  
  
そして、
めきめき元気になった。
あっという間に
元に戻っていった。
  
  
空気がおいしかった。
太陽の輝きが
愛おしかった。
  
  
いつもどおりの
しあわせな日常だった。
  
  
これも不思議。
  
  
別に
私はそんなに特別に
強いわけではない。
  
  
身体も強くないし
心もとびぬけて強いわけではないよ。
  
  
むしろ
泣き虫さんだったりするのに。
  
  
エネルギーが
落ちることがなかった。
  
  
それどころか
どんどん
満ちていった。
 
 
形状記憶シャツもびっくりだよ(笑)。
     
     
それがなぜなのか?
  
  
その説明が
つかなくて
  
ずっと。
  
  
ただ
一つ
これが原因の一つなのかなぁと
思っていたのは、
  
  
子どもが生まれた翌日には
固くかたく決めたことがあって
強くつよく誓ったことがあって
  
  
それは
  
  
「他人と比べない」
  
  
ということ。
  
  
この決意が
その後のすんなりとした復活につながった、
というのはあると思う。
  
  
その時々で
少し気持ちが揺れても
この決意に戻ることで
安定していた。
  
  
なんで私だけ、とか
この子がかわいそう、とか
思った記憶はあまりないんだよなぁ。
    
    
生まれた翌日には
心に誓った。
  
  
比べない、と。
  
  
その考えは
日が経つにつれて
どんどん自分の深いところに
染み込んでいった。
    
     
この決め事を
亡くなるまでの
1ヶ月間
ずっと大切に過ごした。
  
  
この子の命も
私の人生も
誰とも比べられるものではないのだと。
  
  
    
だから、
他人と比べない。
  
  
そう
自分と
約束したから。
  
  
比べることが
苦しみの始まりで
  
  
比べなければ
苦しくないことに気がついた。
  
  
比べなければ
命があるだけで
愛おしさが
心に満ちてくる。
  
  
比べないってすごいことで
  
逆に
かつてないほどの
しあわせの中を生きることができるようになった
スペシャル期間だった。
  
  
だって、普通に生きていて
誰とも比べないで過ごせる日常って
そうそうないから。
    
  
なんだろうなぁ、 
自分が障害を持った子を
生むとは思っていなかったんです、私。
 
 
だから
それまでは、そうなることはこわいことだった。
わからないことは
こわいんです。
 
 
でも
想像で勝手にこわがっていたことが
いざ
現実になってみて  
  
  
さて
障害ってなんなんだ?
  
  
って考えた。 
 
 
そもそも
障害っていうのは
他人と比べるから
出てくる言葉だし
出てくる発想。
 
 
どこかの
どうでもいい
大多数の誰かと比べて
これが足りない
これができない
と思っているんだ。
 
 
障害児の親となって
初めて思ったのは
当たり前なんだけど
 
 
「この子自身は、自分のことを
障害がある、とは思っていない。
 
自分のことを
ふつうだって思っている」
 
 
ということ。
 
 
だから、
まっすぐに
一生懸命、毎日、
命を生きている。
 
 
命ってステキ♪
 
 
そして
すべての命は愛おしい。
 
 
実は、
 
 
障害があることが
苦しみの原因ではない。
 
 
目の前の出来事があるから
苦しいのではない。
 
 
子どもを亡くしたことで
苦しみが長引いているわけでもない。
 
 
他人と比べてしまうから
初めて
『苦しみ』が生まれるんだ。
 
 
自分は今
他人とは違う
自分だけのつらさを味わっている
 

 
自分だけが、、、
という特別感が
心を苦しめているんだなぁ。
 
 
そもそも
寿命が短いという言葉は、
どこからくるの?
 
 
短いってなんだ?
 
 
他人の寿命と比べるから
短いと思うのだ!
 
 
どちらにしても
人間は死亡率は
100%だし。
 
 
遅かれ
早かれ
みんな死ぬ。
 
 
そのルールに則って
この子には
この子への
神さまから与えられた寿命があって
その寿命を生きている。
 
 
1か月間というのが
この子にとって
ちょうど良いのだ。
 
 
長くもなく
短くもない。
 
 
それが
この子にぴったりなのだ。
 
 
なんでこんなことになったんだ?
と、
 
 
神さまに
いちゃもんつけている暇があったら
  
与えられたこの瞬間を
ムダにしない!
 
 
と決めた。
 
 
そう決めたら
目の前から
マイナス要素が
消えたの。
 
 
この子の命は
この子にとって
「一等賞ーー!!!」って
決めたから。
 
 
この子の命って
なんて素敵なんだろうって
思った。
 
 
かわいくて
かわいくて
 
 
それ以外のことは
 
 
あまり
思い煩わなくてすんじゃった。
 
 
寿命が足りないのではない。
寿命が与えられたのだ。
 
 
そして
亡くなったのではない。
一時期、命が与えられたんだ。
 
 
だから
逢えた!
 
 
だから
触れ合えた!
 
 
それ以上でも
それ以下でもない。
 
 
この事実が
この子の人生であり
 
 
それが
私の人生だ。
 
 
この子は
今、
まもなく止まりそうな心臓を
一生懸命動かして生きている。
 
 
それなのに
 
もっと生きてほしい
 
とか
  
かわいそう
 
って思うのは
 
それって
この命に失礼だよな、
自分勝手なことだよな、
と思った。
 
 
そして
 
もしかして
誰かと比べることで
自分で自分のしあわせに目隠ししてきたんだ、
これまで。
 
 
この子が決めてきた
その命をまっとうするお手伝い、
それが
私の親としての役割だ。
 
 
この子は
この子の病気と
この寿命の人生を
100%生きている。
 
 
よその赤ちゃんは、
 
っていうか
 
一般的に
赤ちゃんは、
 
五体満足で
元気に生まれてくるものだ
 
 

 
 
私が
勝手に『ふつう』を思い描いて
勝手に自分も他人もその普通枠に押し込んで
勝手に他人と比べて
勝手に苦しんでいるんだな
 
 
と思った。
 
 
この子にとったら
この生きざまが
スタンダード♪
 
 
これが
ふつう♪
 
 
これが
満足な状態なんだ♪
 
 
命って
やっぱりあっぱれだ!
またまた、続く♪




天使力コーチング合同会社
代表 稲垣由香

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